大矢田神社

  岐阜県:歴史・観光・見所美濃市:観光・観光・スポット>大矢田神社(読み方:おやだじんじゃ)

概要・歴史・観光・スポット

大矢田神社(美濃市)概要: 大矢田神社は岐阜県美濃市大矢田に鎮座している神社です。大矢田神社(美濃市)の御旅所大矢田神社の創建は孝霊天皇の御代(紀元前290〜215年)、建速須佐之男命と天若日子命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。大矢田神社に伝わる伝承によると、孝霊天皇(第7代天皇)の御代に深山に竜が巣食い、村に降りて度々悪行を働いた為、困り果てた村人は相談して喪山に祭られている天若日子命に祈願すると建速須佐之男命を祀り祈願するようにとの御告げがありました。早速、村人は建速須佐之男命の分霊を勧請し祈願すると建速須佐之男命化身が出現し、竜を退治した事から、村人は神意に感謝し、建速須佐之男命と天若日子命を祭る大矢田神社を創建したと伝えられています。

大矢田神社の祭神である天若日子命は記紀の葦原中国平定神話で登場する神で、最初に葦原中国に派兵された天穂日命の連絡が取れなくなった為、2番手として派兵されました。

しかし、天若日子命は葦原中国の主である大国主の娘下照姫命と懇意となり仲良く暮らし当初の目的を忘れてしました。

一向に連絡をよこさない事に激怒した天照大神と高皇産霊神は雉の鳴女を派遣してその真意を確かめさせると、天若日子命は天探女に従い雉の鳴女を射抜ました。

打ち抜いた矢は高天原まで達した為、天若日子命に反乱の意を感じた高皇産霊神は「天若日子命が高天原に敵対する意思があるのであれば、天誅が下るように。」と念じ葦原中国に向かって射返しました。

すると、寝ていた天若日子命の胸に矢が突き刺さり絶命してしまいました。

長い階段の先の聖域に設けられた大矢田神社拝殿
長い階段の先の聖域に設けられた大矢田神社拝殿

下照姫命が嘆き悲しむと、その声を聴いた天若日子命の父神である天津国玉神が葦原中国に下り葬儀の為に喪屋を建て八日八夜の殯をしました。葬儀には下照姫命の兄である味耜高彦根命も参列しましたが、余りにも天若日子命に似ていた為、天津国玉神とその妃神は天若日子命が生き返ったと勘違いして抱き着いてしまいました。

すると、味耜高彦根命は死人に間違われた事を怒りに感じ、喪屋を神剣で薙ぎ払い、蹴り飛ばしてしまいました。美濃の藍見の喪山がその喪屋だとされます。

養老2年(712)、泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧)が大矢田神社を訪れ参篭すると霊地と悟り天王山禅定寺を開山すると七堂伽藍が整備され最盛期には7坊を擁し寺領7千石の大寺となりました。天平7年(735)には聖武天皇(第45代天皇・在位:神亀元年724年〜天平勝宝元年749年)の勅命により全国で流行っていた疫病の祈祷が行われ「下馬札」を賜り応永年間(1394〜1427年)には将軍家臣村上若狭守源氏重から篤く崇敬され大般若経(書写)などが寄進されています。

弘治2年(1556)の兵火により多くの社殿、堂宇が焼失し一時衰退しますが永禄2年(1559)から再興が始まり禅定寺は廃寺になったものの、極楽坊と当泉坊は再興を遂げ、随時、社殿、堂宇が再建されました。江戸時時代に入ると尾張藩(藩庁:名古屋城)から庇護され老中玉置市正の参拝や社紋に三ッ葉葵を掲げる事が許されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され大矢田神社の境内にあった護摩堂をはじめ鐘楼、観音堂などの堂宇は破却、当泉坊は廃寺となり極楽坊の社僧は還俗し神官となり社号を大矢田神社に改称、明治6年(1873)には郷社に列しています。

長い歴史が感じられる大矢田神社本殿
長い歴史が感じられる大矢田神社本殿

現在の大矢田神社本殿は寛文12年(1672)に建てられたもので三間社流造、檜皮葺、正面屋根に千鳥破風、軒唐破風向拝付き、棟梁は曽根源右衛門(名古屋)、組物や精巧な彫刻など見所が多く平成元年(1988)に国指定重要文化財に指定されています。

拝殿は寛文11年(1671)に建てられたもので切妻、妻入、檜皮葺、桁行3間、梁間3間、外壁が無く吹き放しで天井は格天井が施されています。江戸時代初期に建てられた神社拝殿建築の遺構として貴重な存在で妻入形式のものは美濃市内唯一と極めて珍しく本殿同様に国指定重要文化財に指定されています。

大矢田神社楼門(神門)は享保8年(1723)に建てられたもので三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、入母屋、檜皮葺、外壁は真壁造板張り、上層部高欄、花頭窓付、下層部左右には仁王像安置、棟梁は谷口五兵衛(京都)と広田平兵衛(美濃)、神仏分離令後、大矢田神社境内に唯一残された仏式建造物として貴重な存在で昭和44年(1969)に美濃市指定文化財に指定されています。

本殿前に配された中門は切妻、檜皮葺、一間一戸、碗木門。境内は「もみじ谷」と呼ばれる紅葉の名所として知られ、紅葉の見頃には多くの観光客が訪れます。祭神:建速須佐之男命、天若日子命。

大矢田神社の文化財
・ 大矢田神社本殿−寛文12年−国指定重要文化財
・ 大矢田神社拝殿−寛文11年−国指定重要文化財
・ 楓谷ヤマモミジ樹林(90.3a)−国指定天然記念物
・ 大矢田のヒソココ-国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
・ 釈迦十六善神図−室町時代−岐阜県指定重要文化財
・ 梵鐘(禅定寺)−明応3年−岐阜県指定重要文化財
・ 梵鐘(青柳社)−大永3年−岐阜県指定重要文化財
・ 大矢田神社楼門(旧仁王門)-享保8年-美濃市指定文化財
・ 阿弥陀如来坐像−室町時代−美濃市指定文化財
・ 弘法大師坐像−室町時代−美濃市指定文化財
・ 大般若写経−室町時代−美濃市指定文化財
・ 兜−室町時代−美濃市指定文化財

大矢田神社:上空画像

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-美濃市教育委員会
・ 現地案内板(由緒碑)-大矢田神社


大矢田神社:ストリートビュー

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大矢田神社:本殿・拝殿・写真

大矢田神社境内正面に設けられた楼門(旧仁王門)
[ 付近地図: 岐阜県美濃市 ]・[ 美濃市:歴史・観光・見所 ]
大矢田神社楼門に安置されている仁王像(吽形像) 大矢田神社石造常夜塔(天保6年9月) 大矢田神社境内と石灯篭 大矢田神社参道に設けられた神橋(石造太鼓橋)
大矢田神社参道の苔生した石段 大矢田神社の境内に築かれた石垣と流れ落ちる直毘の滝 大矢田神社境内に設けられた手水舎 大矢田神社石段と石垣とモミジ
大矢田神社拝殿左斜め前方と石造狛犬 大矢田神社拝殿右斜め前方と宝庫 大矢田神社本殿と中門と玉垣(板塀) 大矢田神社本殿アップ、軒唐破風向拝付き


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