美濃市: 清泰寺

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概要・歴史・観光・見所
清泰寺(美濃市)概要: 清泰寺は永禄6年(1563)、佐藤清信(美濃国鉈尾山城主)清泰寺が大圭和尚を召還し創建されました。当初は保寧寺(以安寺)と称し佐藤家の菩提寺として庇護され寺運も隆盛していましたが佐藤方政は織田秀信(幼名:三法師、岐阜城城主)に従い慶長5年(1600)の関が原の戦いで西軍に与して行動した為、没落し以安寺も庇護者を失い衰微しました。慶長10年(1605)、金森長近が小倉山城を築き城下町が整備されると以安寺を金森家の菩提寺として再興し自らの法名「清泰寺殿」に因み清泰寺に改称しました。跡を継いだ金森長光は病弱で慶長16年(1611)享年7歳で死去した為、継嗣はなく金森家は断絶、その後、小倉領は天領となり新たに代官に赴任してきた石原清左衛紋正房が石原家の菩提寺とし、以後4代にわたり庇護し、当地方の臨済宗寺院の中心的な役割を持ち末寺10余ヶ寺を擁する大寺となりました。

当初は神仏習合し境内の隣地には金森家の御霊を祀る金森大権現社が鎮座し社運も隆盛していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により金森大権現社が事実上廃社となり、境内に建立されていた金森長近の墓碑は清泰寺に移され、社殿も小規模に改築され清泰寺の鎮守社となっています。

現在の清泰寺本堂は明和4年(1767)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、梁間13間、内部には佐藤清信(法名:保寧寺殿)、佐藤秀方(法名:以安寺殿)、佐藤方政(法名:岩佐院殿)、金森長近(法名:清泰寺殿)、金森長光(戒名:繍雲殿)などの位牌が安置されています。庫裏は天保年間(1830〜1844年)に再建されたもので、木造2階建、切妻、桟瓦葺、妻入、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。本堂背後の墓域には佐藤清信と佐藤秀方、金森長光(金森長近の2男)、石原正房、石原正重、石原正永、石原正利の墓碑が建立されています。

清泰寺書院の庭園は金森宗和(宗和流茶道の祖、金森可重の子供)が作庭したと伝えられる背後の山の斜面を利用した無為自然の名園で美濃市内屈指の庭園として貴重な事から昭和44年(1969)に美濃市指定名勝に指定されています。中濃八十八ヶ所霊場第三十九番札所。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

清泰寺の文化財
・ 鐘鬼の図−江戸時代−美濃市指定文化財
・ 佐藤清信・秀方の墓−安土桃山時代−美濃市指定史跡
・ 石原清左衛門の墓−江戸時代−美濃市指定史跡
・ 清泰寺庭園−永享11年−美濃市指定名勝

清泰寺:写真

清泰寺
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