正眼寺(美濃加茂市)概要: 妙法山は岐阜県美濃加茂市伊深町に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。正眼寺の創建は鎌倉時代末期の元徳2年(1330)、関山慧玄禅師が(妙心寺開山)修行の為、開かれた修行場を前身としてます。
その後修行場は荒廃しましたが、万治元年(1658)太極唯一が旧跡に無相国師を勧請開山として迎え初祖山円成寺を創建しました。さらに寛文9年(1669)に現在の寺号である妙法山正眼寺に改称し最盛期には塔頭5庵を擁するまで発展します。
再興に尽力を尽くしたのが当時の領主旗本佐藤駿河守吉次(了心院殿月皎宗智大居士)で境内背後の高台には日光東照宮(栃木県日光市)で使用された良材の残りで建立したという吉次の御霊屋(了心院霊廟)があり内部には吉次の木像が安置され、宝蔵には佐藤家縁の甲冑や古文書が納められています。
歴史が感じられる正眼寺の境内
佐藤成次は2代将軍徳川秀忠に従って旗本だった佐藤継成の子供として生まれ、慶長19年(1614)に発生した大坂の陣に従軍し徳川家康の小姓となり後に書院番(江戸幕府の徳川将軍直属の親衛隊)に就任しています。
寛永11年(1634)、継成の死去に伴い井深佐藤家の家督を継ぐと下総国舟橋の御殿の修理や日光山諸堂社の修理、薩った山(静岡県静岡市清水区)の開削などの奉行を歴任し旗本寄合席に列しています。延宝3年(1675)に死去すると正眼寺に葬られた事からも、正眼寺が領内の寺院の中でも重要視されていた事が窺えます。
弘化4年(1847)には名僧雪潭紹璞(雷鳴雪潭)が僧堂を設置、以来、「伊深の鬼叢林」と呼ばれる程厳しい専門道場として知られるようになり「妙心寺の奥の院」の地位が確立しています。その後は妙心寺派道場として寺運が隆盛し、明治時代の神仏分離令などで一時衰退するも、明治後期には再興を果たし昭和30年(1955)に正眼短期大学を開学させています。
正眼寺の寺宝である佐藤家の甲冑(4領)は室町時代から戦国時代にかけて制作されたもので、貴重な事から昭和51年(1976)に美濃加茂市指定文化財に指定されています。境内に生える「しだれ桜」は推定樹齢300年の古木で貴重な事から昭和46年(1971)に美濃加茂市指定天然記念物に指定されています。山号:妙法山。宗派:臨済宗妙心寺派(別格本山)。
正眼寺:上空画像
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