太田代官所(美濃加茂市)概要: 案内板によると「 尾張藩は天明年間になると藩政改革 として領内の要所地を一括支配する所付代官を配置しました。太田代官所は天明2年(1782)に設置され、初代の代官は井田忠右衛門でした。慶応4年(1868)、太田代官所は北地総管所と改名され、田宮如雲が総管に任命されました。このとき一緒に勤めていたのが坪内逍遥の父平右衛門です。 美濃加茂市商工観光課 」とあります。
尾張藩領5万6千4百7石の管理運営が行なわれた場所で、当地域の行政、軍事の中心になった施設です。田宮如雲は高須松平家の秀之助(後の徳川慶勝)を尾張藩主に擁立に尽力し、慶勝が藩主に就任すると藩の家老や側用人に抜擢され藩内で大きな影響力を持ちました。大政奉還後は朝廷の参与や名古屋藩大参事などの要職も歴任し、戊辰戦争の際には草薙隊を組織し甲信鎮撫にも参加しています。現在は代官所の遺構がなく小学校の校庭となっています。
太田代官所跡:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-美濃加茂市商工観光課
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