飛騨萩原町(下呂市)概要: 萩原町の都市的発展は天文年間(1532〜1555年)、三木直頼が桜洞城を築いたのが始まりとされます。直頼は桜洞城の城下町に禅昌寺や景劉院などを創建し、南飛騨に大きな影響力を持ちました。
跡を継いだ三木自綱は飛騨国を統一し天正7年(1579)に本拠を高山に移しますが、佐々成政と組した為、羽柴秀吉と対立し秀吉の家臣金森長近がに攻められ天正13年(1585)に滅ぼされます。
長近は三木氏の影響下にあった桜洞城を廃却し佐藤秀方に命じて新たに萩原諏訪城を築き、当地方の軍事的拠点としました。萩原諏訪城は関が原の戦いで佐藤方政が西軍に付いた為、東軍に付いた金森長近により接収され当地方の軍事、行政の中心地として整備されます。慶長20年(1615)に発令された一国一城令により萩原諏訪城は廃城になりますが、当地の重要性から萩原旅館としてほぼ城郭の機能を残し城下町も存続させました。
元禄5年(1692)、6代藩主金森頼時が上山城(山形県上山市)に移封になると、天領となりますが、飛騨街道の宿場町として物資や旅人の往来などで経済的に発展し周辺地域の中心の地位を保ち続けました。現在も飛騨街道沿いには随所に古い町並みが残され下呂市の街並み景観保存地区に選定されています。
又、周辺には「鳴いたウグイス」民話の舞台となった久津八幡宮や臨済宗妙心寺派の名刹である龍澤山禅昌寺などの社寺があり見所の多い地域です。
飛騨萩原町:上空画像
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