飛騨金山町(下呂市)概要: 金山町(下呂市)は古くから交通の要衝として知られ越中と美濃を繋ぐ飛騨街道と金山と関を繋ぐ飛騨西街道(金山街道)、郡上八幡に繋がる路などの分岐点になっていました。
又、飛騨国と美濃国の国境に接していたことから江戸時代には尾張藩(金山地区・菅田桐洞地区・菅田笹洞地区)、苗木藩(田島地区)、天領(下原地区)、郡上藩(後に旗本領:東12ヶ村)の領内が混在した特異な地域となりました。
中心部である金山は飛騨街道の宿場町として多くの旅人の往来や物資の集積場として大きく繁栄し、昭和3年(1928)に鉄道が開通するまでその地位を保ちました。
金山宿の宿場の規模は東西5町、南北5町、舟運の拠点である金山湊を擁していた事から多くの物資が集められ集積場として経済的にも発展し多くの商人が軒を連ね多種多様の商品を取り扱っていました。又、下呂温泉の湯治客も多く利用されています。
現在でも昭和初期と思われる古い町屋が軒を連ね、特に幅員1m前後の「筋骨」と呼ばれる細い路地など郷愁を誘う景観が随所に点在し雰囲気のある町並みが残されています。
又、日本書記に記された両面宿儺討伐の舞台でもあり古代の浪漫を感じさせてくれます(両面宿儺は異形な存在で、飛騨国に悪事を働いた事で朝廷から難波根子武振熊が派遣され遂に討伐されます。金山町では両面宿儺は宿場背後にある鎮守山に一時退避し37日間大金剛輪陀羅尼を唱え難波根子武振熊との戦いに備えたと伝えられています。
金山町では両面宿儺は信仰の対象で、本来飛騨国の領主として善政を行なっていたものの、朝廷と対立した結果、必要以上に悪く描かれたと推定されています)。
飛騨街道:宿場町・再生リスト
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