神岡城(飛騨市)概要: 神岡城は岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘に位置しています。神岡城は永禄7年(1564)、武田信玄の家臣山県昌景縄張りし江馬時盛が築城したのが始まりとされます。当地は越中(現在の富山県)と飛騨(現在の岐阜県)を結ぶ越中街道(飛騨街道)が通過する交通の要衝だった事から武田家の越中攻略の拠点として重要視されました。
江馬氏にとっての神岡城はは本城である高原諏訪城に対して出城や支城的な存在で、北側と西側の2方は高原川で削られた崖地、残りの2方は2重の堀を設け、東町城と呼ばれていました。天正10年(1582)、武田家と江馬氏が滅び三木氏(後に姉小路氏)の支配となりますが天正13年(1585)金森長近の飛騨侵攻により三木氏が滅びます。
神岡城は北飛騨の要として金森家家臣山田小十郎が城主に据え、江戸時代には高山城の3支城(増島城、諏訪城、神岡城)の1つとして重要視されました。元和元年(1615)に発令された一国一城令により城郭とは認められら無くなりましたが、高山藩の藩主金森重頼により改変、旅館(陣屋)として事実上残され引き続き当地方の中心的な位置は維持されました。
元禄5年(1692)、6代藩主金森頼時の代に上山城(山形県上山市)に移封になり、残された旅館も破却、廃城となります。現在は石垣や空堀、土塁などの遺構が残され、主郭(60×60m程度)には三井金属鉱業が建設した模擬天守が設けられ、模擬城門や模擬土塀が整備されています。
神岡城:上空画像
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