大津神社(飛騨市)概要: 大津神社は岐阜県飛騨市神岡町大字船津に鎮座している神社です。大津神社の創建は不詳ですが延喜元年(901)に編纂した清和天皇三代実録(天安2年:858年〜仁和3年:887年の事柄の記録書)には貞観9年(867)に従五位上に列した事が記されている事から、少なくとも平安時代には既に祭祀が行われていた事が推察されます。
さらに、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社飛騨国内8社の1社として記載されている事から朝廷からも格式のある神社として認識されていた事が窺えます。
大津神社は南北朝時代の建武年間(1334〜1338年)、当時の領主江馬氏(居城:江馬氏館(下館))が諏訪大社(長野県諏訪市・下諏訪町)を信仰していた為、その分霊を勧請合祀し、社号を諏訪大明神と改称しました。
江馬氏は長く当地を支配し大津神社はその崇敬社として庇護され社運も隆盛しますが天正10年(1582)、姉小路氏(三木氏)との八日町の戦いに敗れ江馬氏が事実上滅亡すると、庇護者を失い別当寺院だった宗慶寺も廃寺に追い込まれています。
その後、領主となった金森氏(高山藩主・藩庁:高山城)も諏訪大明神を崇敬し再興しますが、元禄5年(1692)、6代藩主金森頼時の代に上山城(山形県上山市)に移封となり、その後、文化元年(1804)、地元の有識者(稲田元浩・大森旭亭・吉村友閑斎)などから意見が出され旧社号である大津神社に復しています。
文化11年(1817)に周辺で火災があり大津神社の社殿も類焼焼失、当時の神官である築後守藤原頼美が再興に尽力し文化14年(1820)には上京し官弊御告文勅許を得ています。明治4年(1871)に郷社、昭和5年(1930)に県社、昭和22年(1947)に金幣社、平成2年(1990)に特別金幣社に列しています。
当初は現在より北側に位置していましたが明治28年(1895)の船津大火の類焼により多くの社殿が炎上、明治30年(1897)に現在地に遷座し再建されています。祭神:大彦命、武渟河別命、建南方富命。
大津神社拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、妻入り、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。本殿は三間社入母屋造、正面千鳥破風、檜皮葺、正面1間向拝付き。毎年8月14・15・16日大津神社の境内で行われる「船津盆踊り」は古式を伝える貴重な民俗行事として貴重な事から昭和44年(1969)に岐阜県指定無形民俗文化財に指定されています。
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大津神社:上空画像
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