瑞岸寺(飛騨市)概要: 殿秀山瑞岸寺は岐阜県飛騨市神岡町殿に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。瑞岸寺の創建は不詳ですが、飛騨安国寺の開山堂に安置されている明徳3年(1392)に彫刻された瑞巌和尚坐像(国指定重要文化財)の墨書に瑞岸寺が末寺だった事が記されている事から、安国寺が創建された貞和3年(1347)から明徳3年(1392)の間に開山したと思われます。
伝承によると江馬家初代当主江馬輝経(平経盛の妾腹の子)が天舟海を招いて開山し、母親である益世姫の持念仏「聖観世音菩薩」を本尊としたとありますが、江馬輝経の時代に飛騨を領したという資料がなく伝説の域を出ません。その後、衰退しましたが室町時代末期の天文4年(1534)、江馬九右衛門時正が中興開基となり安国寺の信海和尚を招いて中興開山しています。その後は北飛騨一帯を領した江馬氏の菩提寺として寺運が隆盛しています。
戦国時代末期の天正10年(1582)、三木氏の台頭により江馬氏が滅ぼされると、瑞岸寺は庇護者を失い衰微しますが、豊臣政権下で飛騨国を支配した金森氏(高山城の城主)の庇護を得る為に、金森氏の菩提寺である宗猷寺と関係を深めています。江戸時代に入ると安国寺の衰退もあり臨済宗に改宗し、正式に宗猷寺の末寺となっています。
瑞岸寺は寺宝が多く、文禄3年(1594年)の刻銘を残す磬子(仏具・京都の名工金龍子作)は岐阜県指定重要文化財に、江馬氏軍書、馬具は飛騨市指定文化財に指定されています。又、飛地仏堂の瑞岸寺安楽院薬師堂(小萱薬師堂)が室町時代初期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に、堂内に安置され永仁7年(1299)の銘がある懸仏は岐阜県指定重要文化財に指定されています。
境内もよく整備されていて中でも臥龍楓は飛騨市指定天然記念物に指定されています。飛騨三十三観音霊場第二十七番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:遥々と 登れば殿の 瑞岸寺 松の響きも 御法なるらん)。山号:殿秀山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:聖観音坐像。
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瑞岸寺:上空画像
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