高山市下二之町大新町・町並み

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高山市下二之町大新町:町並み

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【高山市下二之町大新町】高山の地は文安年間に飛騨国に守護職である京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城を築城しその城下町として整備されたのが始まりとされ、戦国時代の天正16年(1588)に豊臣秀吉から当地に配された金森長近が天神山城を高山城として修築、拡張し城下町も本格的に整備されました。元禄5年(1692)に金森頼時が上山藩(山形県上山市)に移封になると高山藩は廃藩、高山城も廃城となりましたが、その後の整備された高山陣屋(天領代官所)の陣屋町として町割が維持されました。現在の高山市下二之町大新町は主に商人町だった下二之町と、越中街道(飛騨街道)沿いの大新町から成り、明治時代から昭和初期にかけて建てられた町屋建築が軒を連ねる伝統的な商家町の町並みが残され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。特に日下部家住宅、吉島家住宅は明治時代の日本建築が最も技術的に高かった時に建てられたもので国指定重要文化財に指定されています。

【日下部家住宅】日下部家住宅は明治12年(1879)に建てられた建物で、木造平屋建(一部2階建)、切妻、平入、桟瓦葺、桁行17.4、梁間17.3m(北側突出部:桁行7.2m、梁間8.1m)、日本大工技術が結集された建物と評された優れた町屋建築の遺構として大変貴重な事から昭和41年(1966)に国指定重要文化財に指定されています(敷地内にある文庫倉と新倉、付属の板塀、門、板絵図裏書も同時に国指定重要文化財に指定されています)。

【吉島家住宅】吉島家住宅は明治38年(1903)の火災で焼失後の明治40年(1905)に建てられたもので、切妻、平入、桟瓦葺、桁行16.7、梁間13.6m(北側突出部:桁行5.4m、梁間3.7m)、棟梁は名工として知られた西田伊三郎、内部の吹き抜けが象徴的ですが、細部にわたり日本建築の繊細さが随所に表現され日下部家住宅と同様に日本を代表する近代町屋建築の最高峰として価値が高く昭和41年(1966)に国指定重要文化財に指定されています。

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