内城稲荷(根付け石)概要: 内城稲荷の境内に祀られている「根付け石」は当時の千旦林城主吉村七郎左衛門源斎が伊勢神宮(三重県伊勢市宇治館町)に参拝の折、五十鈴川にあった石が煙草の根付けに調度良いとしてこの地に運んだものです。重さは50キロ程で武勇の誉れ高い源斎の逸話の1つになっています。吉村源斎は戦国時代に周辺を支配した地侍で、武勇だけでなく、知略、人望に優れその名声は他国まで轟いていました。その名声を聞いた武田信玄はぜひ家臣になって欲しいと高待遇で要請しましたが、日頃から恩があった領主に義理立てし丁寧に断りました。
それに怒った信玄は大軍を差し向け、源斎は自らの行為に従った領主や家臣、領民達に迷惑をかけれないとして一人で大軍に立ち向かったと伝えられています。どこまで本当の話しかは分かりませんが、この「根付け石」や源斎が討ち取られた場所である「源斎岩」などが伝承として伝えられています。又、境内は修験僧の道場であった神子母神社が鎮座していましたが、その後、小学校や町役場として利用され現在は城ケ丘保育園になっています。
内城稲荷:上空画像
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