恵那峡(恵那市)概要: 「恵那峡」の名称は大正9年(1920)、世界的な地理学者だった志賀重昂氏によって命名されています。恵那峡は木曽川中流の渓谷で、大井ダムによってできた人造湖ですが周囲の景観と人工の建造物が調和し恵那峡県立自然公園の中枢を成しています。元々は木曽川の急流によって形成された渓谷美が見られましたが、福澤諭吉の婿養子である福澤桃介が電気事業に乗り出し、木曽川の豊富な水量と渓谷の地形を生かしたダムにより水力発電の開発を行い、現在見られるような景観となりました。
大井ダムは日本最初のダム式発電所で高さ55.7m、幅275.7m、大正10年(1921)から大正13年(1924)にかけて造られ木曽川に12キロに及ぶ巨大なダムが出現しました。
両壁には鏡岩、傘岩、屏風岩、軍艦岩、獅子岩、千畳敷岩などの奇岩、怪石が続き春の桜や秋の紅葉、初夏の新緑が湖面に映え多くの観光客が訪れます。又、ダム湖周辺には散策路などが整備され紅葉や新緑を楽しみながら散策する事が出来ます。
紅葉の名所でもある恵那峡の景観
駐車場付近にある大フジは、伝説によると江戸時代初期の元和元年(1615)に発生した大坂の陣で豊臣方に参加した市川伝右衛門が恵那峡まで落ち延び山の神(女神)を祭ったそうです。
ところが、夫婦神の一方だった男神が弁天神によって心を奪われた為、フジの蔓によって絡め取ろうと一生懸命にフジを育て為現在のような大フジになったと伝えられています。
恵那峡の大フジは推定樹齢約400年、根元幹周2.7m、フジとしては岐阜県を代表する大木とされます。
弁財天は元々は江戸時代中期に勧請され篤く奉斎されてきましたが、ダムによって沈む事になり、小高い山がそのままこの地に残り小島となった当地に遷座され、弁天島と呼ばれるようになりました。
弁財天は恵那峡を守護する供に、音楽、弁財、、福智、延寿、除災、得勝に御利益があるとして信仰されています。
恵那峡:上空画像
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