瑠璃光寺(神戸町)概要: 瑠璃光寺の創建は平安時代初期の弘仁8年(817)に伝教大師最澄(天台宗の開祖)が巡錫の折、この地を訪れ開山したのが始まりと伝えられています。当初は百済寺と称し天台宗の寺院でしたが、江戸時代初期の元和2年(1616)愚堂国師が臨済宗妙心寺派に改宗し寺号を瑠璃光寺に改称しています。
三代将軍徳川家光の乳母春日局は愚堂国師に深く帰依していたとされ、紅地花卉虫宝尽紋様金入繻珍と呼ばれる袈裟を寄進しています。その後、一時衰退しましたが江戸時代中期の享保14年(1729)に岐山慧薫和尚が再興を果たしています。
宝暦8年(1758)の愚堂国師百回忌法要の際には定水和尚の招きにより臨済宗の中興の祖と言われた白隠慧鶴が瑠璃光寺に長期間滞在し碧厳録を講じています。ただし、門人達が反対した為、法事自体は貫宗慧林の提案で遂翁元盧(白隠慧鶴の弟子)が取り仕切っています。明治時代初期には神戸小学校の前身である玉成舎が設けられています。
瑠璃光寺の寺宝である紙本墨書白隠慧鶴書跡は宝暦8年(1758)に白隠慧鶴が当寺に滞在した際に書したもので横幅1.365m、縦54.5cm、白隠の書の中では極めて大幅で代表的な書跡である事から昭和49年(1974)に岐阜県指定文化財に指定されています。山号:明月山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:延命地蔵尊。
瑠璃光寺の文化財
・ 紙本墨書白隠慧鶴書跡−岐阜県指定重要文化財
・ 紅地花卉虫宝尽紋様金入繻珍−神戸町指定重要文化財
・ 薬師如来坐像−神戸町指定重要文化財
・ 八稜唐草鏡−神戸町指定重要文化財
・ 紙本着色釈迦出山之図−神戸町指定重要文化財
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瑠璃光寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-神戸町教育委員会
・ 現地案内板(縁起)-明月山瑠璃光寺
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