北方陣屋概要: 寛文8年(1668)、加納藩(岐阜県岐阜市・藩庁:加納城)7万石から藩主松平光重の3男戸田光直に5千石が分知され北方戸田家(旗本)が成立しました。
領地は北方を中心に春近、郡府、石原、福田地、三橋、仏生寺、加茂の8ヶ村(現在の本巣郡北方町、本巣市の一部)で明治2年(1869)に版籍奉還まで7代に亘り北方戸田家が支配しました。
領主である北方戸田家は江戸定府だった為、本家戸田家(加納藩→淀藩→松本藩)から奉行や代官が北方陣屋に派遣され現地を采配しました。
北方陣屋は旧北方城と重なる部分も多く、外堀に見立てられた天王川や水路を取り込むような形で内部には代官屋敷、奉行屋敷、御役所、化成庠(学問所)、米蔵、撃剣道場、、稲荷堂、常誓寺、射的場、家臣屋敷等が設けられました。
北方陣屋は明治4年(1971)に発令された廃藩置県後に廃され、その後の宅地化などで建物の遺構はありませんが天王川や水路、当時から鎮座していた大井神社などがあり、旧陣屋門が西本願寺岐阜別院の裏門として移築されています。北方陣屋跡は貴重な事から昭和30年(1955)に北方町指定史跡に指定されています。
北方陣屋:上空画像
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