長屋神社(本巣市)概要: 長屋神社は岐阜県本巣市長屋に鎮座している神社です。長屋神社の創建は戦国時代の永正年間(1504〜1520年)、杉之社として勧請されたのが始まりと伝えられています。
天文元年(1532)、当時の相羽城の城主長屋景興が城から見て北東に当る現在地に遷座、新たに祇園神社(八坂神社)の分霊を勧請合祀して鬼門封じの鎮守社としました。天文14年(1545)、斎藤道三の侵攻により相羽城は落城、以後、庇護者を失いますが周辺住民からの信仰により存続されました(長屋氏は領主からは没落し、当地に移り住んだ後は長尾神社の祭祀を歴代司っています)。
文禄年間(1593〜1596年)と元禄年中(1688〜1690年)の火災により社殿が焼失し、現在の本殿は元禄4年(1691)に再建されたもので三間社流造、銅板葺、桁行5.15m、梁間5.88m、屋根正面には千鳥破風、三間軒唐破風向拝付、繊細な彫刻や組物が施されており、特に妻面には力士像が屋根を支えています。長屋神社本殿は江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から附棟札・古文書と共に昭和63年(1988)に岐阜県指定有形文化財に指定されています。
江戸時代には領主である大垣藩(藩庁:大垣城)の藩主から崇敬社として庇護され、毎年6月に行われる例祭には使者が藩主の代参として参拝に訪れ、寛文6年(1666)には御供米一石が、その後も江戸時代後期まで金品が寄進されています。
江戸時代は長屋牛頭天王と呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治2年(1868)に現在の社号である「長屋神社」に改称し、明治6年(1873)に郷社に列しています。
長屋神社の例祭である長屋神社の祭礼行事は、一本茶漬、神輿の渡御、山車の稚児舞と獅子舞、馬駆けの4行事の総称で岐阜県指定重要無形民俗文化財に指定されています。長屋神社の境内にあるナギは推定樹齢300年(元禄3年の火災以後に例祭、馬駆け行事で使う神木として植樹されたと推定されています。)樹高約16m、目通1.6m、本巣市指定天然記念物に指定されています。祭神:建速須佐之男命、櫛名田比売神、須賀之八耳神。
長屋神社:上空画像
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