相羽城

岐阜県:歴史・観光・見所岐阜県の城郭>相羽城
相羽城:略データ
・場 所・岐阜県揖斐郡大野町相羽
・築城年・建暦から建保年間頃
・築城者・饗庭氏
・城 主・饗庭氏、長尾氏、鷹司氏
・構 造・平城
・文化財・大野町指定史跡
・指定日・昭和53年2月24日
・概 要・相羽城が何時頃築かれたのかは不詳ですが、「新撰美濃志」によると建暦から建保年間頃に饗庭氏によって築かれたと記されています。

饗庭氏は土岐家2代当主土岐光行の2男である光俊が当地に配された際、地名に因み「饗庭」姓を掲げたのが始まりとされます。

光俊は承久の乱で討死しますが、後裔である二郎太郎国綱、国頼、国信が相羽城を居城にしていたとされます。

国信は斎藤義龍に従い西美濃十八将に数えられ、弘治2年に発生した長良川の戦いでは長井規秀勢と戦い戦功を挙げたものの、既に相羽城から退去していたようで、記録上では天文年間に長屋景興が城主となっています。

本巣市長屋に鎮座している長屋神社は天文元年に長屋景興が相羽城から見て北東に位置する地に鬼門鎮守として遷座奉斎したとの由緒を持っている事からこの頃に城主になったと思われます。

景興は美濃国守護の土岐頼芸に従ったものの天文16年に発生した「相羽館の戦い」で長井規秀(斎藤道三)勢に攻められ、嫡子である与五郎右衛門景直と共に討死しています。

その後、鷹司氏が城主になったようですが、天文18年に織田信秀に攻められ落城し、間もなく廃城になったと思われます。

相羽城は梶尾川とその支流である三水川を天然の外堀と見立て中世の平城で、現在の八幡神社の境内が本丸跡とされ、社殿付近が周辺より2m程高く城跡を思わせてくれます。

相羽城の城跡は貴重な事から大野町指定史跡に指定されています。

岐阜県:城郭・再生リスト
相羽城:付近地図
岐阜県の城郭のリンク
相羽城旗本青木氏陣屋青野城跡部城美江寺城福束城船田城府中城伏屋城顔戸城畑館
東野陣屋一日市場館本田城本郷城今井城今尾城石河邸十九条城十七条城帰雲城
加賀野井城釜戸陣屋上恵土城金森宗貞邸金森左京屋敷軽海西城革手城切通陣屋氷取城
黒野城前渡坪内陣屋牧村城松ノ木城文殊陣屋森部城西保城西高木家陣屋野口館
大井城織田河内守邸大御堂城大富館お茶屋屋敷六之井陣屋清水城下洞陣屋曽根城
太閤山砦多治見国長邸高須城高富陣屋竹ヶ鼻城竹中氏陣屋千村氏屋敷津田代官陣屋
徳永氏五之里陣屋東氏館妻木城士屋敷津屋城鵜沼城牛洞陣屋八神城山口城主居館
山下城居館
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「岐阜県:歴史・観光・見所」は「岐阜県の歴史」、「郷土資料辞典−岐阜県」、「日本の城下町−東海」、「城郭と城下町−東海」、「東海道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。