・当地は「御所前」とも呼ばれ、古くは領主である遠山家の「古府」が設けられていたとも云われています。
戦国時代には織田家領と武田家領の境界線に近く、天正元年に織田家に転じた遠山家が織田信長と共に武田家の侵攻に備える砦が築かれ東野陣屋と呼ばれました。
その後、佐伯氏が居館として利用したとも云われていますが詳細は不詳とされ、現在は貴船神社の境内となっています。
貴船神社は寛文5年に貴船信仰の総本宮である貴船神社(京都府)御霊を勧請し開創した事から江戸時代初期には当陣屋は既に廃止されていたと思われます。
東野陣屋は阿木川の流れによって形成された河岸段丘を利用した、約50m四方の単郭の平城風に計画され、西側に流れる阿木川以外に北、東、南の三方に空堀と土塁が囲っていたようです。
東面の中央には虎口があったと推定され、櫓台と思われる土盛があるそうです。
名称は陣屋とされますが、空堀や土塁の規模等から推察するとかなり実戦を想定した拠点だった事が窺えます。
岐阜県:城郭・再生リスト
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