・森部城が何時頃築城されたのかは判りませんが戦国時代には河村久五郎将昌が居城として利用しています。
永禄4年に発生した「森部合戦」では久五郎は織田信長に従い、敵将の神戸甚助(将監)を討ち取る功績を挙げ感状を賜っています。
河村家は古くから津島神社の神官を務めていた家柄で、南北朝時代には津島南朝十五党の一家に数えられていました。
戦国時代に織田家は津島神社を篤く庇護していた関係で河村家も信長に協力していたと思われます。
津島神社の神官は兄である河村秀綱が継いでいましたが、天正2年に死去した事から久五郎が家督を継いだ為、森部城は廃城になったと思われます。
慶長15年には隣接する金峯神社の境内付近に本郷城の城主である稲葉佐渡守正成が屋敷を構えています。
明治14年に森部学校が創立すると、当地は昭和15年まで森部分教場として利用され、現在は森部公民館となっています。
森部城の跡地は貴重な事から安八町指定史跡に指定されています。
又、森部合戦で斎藤方の足立六兵衛を討ち取り300貫を賜った前田利家が出世のきっかけになった事から戦場跡にある松の大木を「出世の松」と呼ばれ、その石碑が建立されています。
出世の松の近くに境内構えている薬師堂は森部合戦の織田方の首実検が行われた所とされ、境内には古戦場の石碑や供養塔、信長の鎧掛けの松等があります。
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