・今井城は大永年間に今井対馬守貞信によって築かれたと伝えられています。
当地の今井家は木曽義仲の四天王に数えられ寿永2年に討死した今井四郎兼平から6代目、又は7代目にあたる人物が初代とされ、兼平が討死すると一族は飛騨に逃れ当地に土着した後も戦国時代の貞信まで農業等を生業とし隠遁生活を余儀なくされたそうです。
当城は近くにある大ヶ洞の山城を詰城と見立てた貞信の居館だったようですが、その後の貞信の経緯が不詳で、何時頃今井城が廃城になったのかも判っていません。
城跡は目立った遺構も無く、現在は今井八幡神社が鎮座しています。
今井八幡神社は元和6年に貞信の後裔とされる23代目当主の今井次良左衛門忠親が、源氏の氏神である八幡神を勧請し開創した神社で、由緒によると貞信は今井兼平の長子になっていますが、一般的に兼平の子供は兼連、兼之、熊丸とされる為、混乱が見られます。
由緒によると貞信が宮田村に土着すると10代の信家の代で三木右京進久頼の家臣となり、天正年間に三木家が没落した事を受け、18代信孟が竹ノ上に遷り帰農したとされます。
ただし、今井家は44代に没落し当初の由緒も失ったようで、その後、古老から聞き取って現在の由緒を記したとされます。
今井城の跡地は貴重な事から下呂市指定史跡に指定されています。
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