金森左京屋敷

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金森左京屋敷:略データ
・場 所・岐阜県飛騨市神岡町釜崎
・築城年・−
・築城者・金森左京重勝
・城 主・−
・構 造・居館
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・当屋敷は金森左京重勝が居館として設けたとされます。

重勝は慶長5年に高山藩2代藩主金森可重の5男として生れ、生母が江馬輝盛の娘、又は江馬一族の河上縫殿介の娘とされる事から江馬氏の名跡を継がせる為に元和元年に江馬氏の旧領の内、高原郷3千石を分知し金森右京家を起しています。

重勝は当地の領主であると共に、高山藩の家老でもあった為、高山城の城下である現在の高山市桜町、八幡町付近にも屋敷が与えられています。

重勝には嗣子が居なかった事から弟である金森重頼の6男金森重直が跡を継ぎ、慶安2年には江馬氏の菩提寺円城寺を家臣の姫田三良右衛門に命じて、現在地に遷しています。

重直にも嗣子が居なかった事から兄で高山藩4代藩主金森頼直の次男、金森近供を養子に迎えています。

近供は高山藩6代藩主金森頼 が藩主就任時に僅か2歳だった事から後見人として、頼 が成人し政務が行えるようになるまで、藩政を取り仕切っています。

特に富山藩との藩境争いでは、大藩である加賀藩が控える富山藩を相手取り勝訴を勝ち取る手腕が評価されています。

元禄5年、頼 は上山藩に移封となり、近供も随行した為、当屋敷も廃されたと思われます。

屋敷跡は神岡工業高校の敷地として利用された為、目立った遺構は残されておらず、現在は公園として整備されています。

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