・美江寺城は応仁から文明年間頃に美濃国守護職土岐家の家臣である和田八郎が築いたとされます。
和田家は揖斐川町和田を本貫とする豪族でしたが、康正2年頃に土岐家の跡継ぎ争いで、土岐成瀬に与し勝利に貢献した事で、それまでの本貫地を離れ、本巣郡十六条村に配され、美江寺城を築いたとされます。
その後も成瀬に従い、応仁の乱でも戦功を挙げ地位が確立しています。
美江寺城の城主は和田佐渡守、和田伊予守高成、和田将監高行と城主を歴任しましたが、天文11年に当時の城主である高行が土岐頼芸に従い斎藤道三と対立した為、斎藤勢に攻められ落城、そのまま廃城となっています。
その後、城跡には神明神社と八幡神社が開創され境内として利用されましたが、大正3年に現在地の北西隣に美江神社に遷座し、船木小学校が建てられています。
美江寺城の城域は「瑞穂市立中小学校」の敷地とされ、現在は学校建設や周囲の開発等により遺構の多くが失われ、校庭の西隅に模擬天守台と城跡碑、案内板等が整備されています。
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