・高富陣屋は文化3年に本庄道昌が設けた高富藩の藩庁です。
高富藩の初代藩主である本庄道章は大身旗本の本庄道高の長男として生れ、元禄10年に4千石で家督を継ぎ、宝暦2年に6千石が加増され岩滝藩を立藩し、宝暦6年に高富村石畑に陣屋を遷し、改めて高富藩を立藩しています。
享保10年に道章が死去すると道矩が跡を継ぎ、日光御祭礼奉行や大坂加番代、大番頭等の要職を歴任し、その後も歴代藩主は上記と同様な要職に就く事が多いものの、直系が継ぐ事が少なく、多くが婿養子や末期養子を迎えています。
本庄道昌は高富藩7代藩主本庄道利の長男として生れ、享和元年に家督を相続し、文化3年に現在地である高富村天王に陣屋を遷しています。
この頃から藩の財政が困窮しはじめ、跡を継いだ9代藩主本庄道貫は何度も藩政改革を行ったものの成果をあげる事が出来ず、10代藩主本庄道美の代には財政が完全に破綻し、領内で打ち壊しや一揆が頻発するようになっています。
美里会館周辺が陣屋跡とされますが、遺構が感じられるものは少なく、会館の敷地内には「陣屋跡」の石碑が建立されているのみとなっています。
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