多治見国長邸

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多治見国長邸:略データ
・場 所・岐阜県多治見市新町2丁目
・築城年・−
・築城者・多治見氏
・城 主・多治見氏
・構 造・居館
・文化財・岐阜県指定史跡
・指定日・昭和32年3月25日
・概 要・多治見氏は清和源氏で美濃国守護職土岐家の一族で、土岐光行の子供である国義が美濃国土岐郡多治見郷に配され地名に因み「多治見」姓を掲げたのが始まりとされます。

別説によると、土岐光行の子供で美濃国大野郡饗庭を本貫とした饗庭光俊を祖とする説もあります。

多治見国長は後醍醐天皇の側近である日野資朝の招きにより、土岐頼兼、土岐頼員、足助貞親等と共に、鎌倉幕府の討幕を画策し密談にも参加しました。

国長は北野天満宮の祭礼で多くの群衆で賑わっている際に、密かに挙兵する計画を立て、密談でこの話をしたところ密談に参加していた土岐頼員が、妻で幕府の機関である六波羅探題の奉行斎藤利行の娘に国長の計画を漏らしてしまいました。

すぐさま、その計画は六波羅探題が知る事となり、探題は小串三郎左衛門範行に命じ軍勢3千余騎が錦小路高倉を急襲しました。

国長は少ないながらも手勢を率いて応戦しましたが、奮戦空しく総崩れとなり一族郎党と共に自刃しています。

国長の邸宅跡の遺構はありませんが貴重な事から小公園として整備され、岐阜県指定史跡に指定されています。

多治見国長邸跡:付近地図
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