六之井陣屋

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六之井陣屋:略データ
・場 所・岐阜県揖斐郡池田町六之井
・築城年・慶長7年頃
・築城者・加藤遠江守光直
・城 主・加藤家
・構 造・陣屋
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・六之井陣屋は慶長7年頃に加藤遠江守光直が当地を配された際に領地支配の行政機関として設けられました。

光直は甲府城の城主である加藤光泰の次男として生れ、当初は豊臣秀吉に従っていましたが、慶長5年に発生した関ヶ原の戦いでは東軍方として功績を挙げ、慶長7年に美濃国大野軍公卿村分3千6百40石が安堵され、寛永3年には使番を担いました。

その後は、後裔である泰直、泰和、納泰、泰宣、泰榮、平内と続き明治維新を迎えています。

平内は御使番や組合銃隊頭、歩兵頭を歴任し、脱走兵の纏め役だったようです。

戊辰戦争の際、平内は幕府軍として参加し、宇都宮城の戦いでは後発隊の御料兵100名を率いる隊長として名を連ねています。

宇都宮城が落城すると会津戦線に身を投じ、会津領各地で転戦し会津城籠城戦にも参加しています。

籠城戦では三之丸を守備し、会津藩が降伏すると静岡の田中城で謹慎し、六之井陣屋も廃されたと思われます。

陣屋は現在の六之井北公民館周辺とされ、唯一の遺構だった陣屋門が加藤家の菩提寺である月真寺の山門として移築されましたが、老朽化の為、現在は解体されています。

月真寺の境内には加藤平内の墓碑が建立されており貴重な事から大野町指定史跡に指定されています。

月真寺は竹中家の菩提寺でもあり、居城である大御堂城の一角だった事から、竹中半兵衛の生誕地との説があります。

境内にある半兵衛の父親である竹中重元の墓は貴重な事から大野町指定史跡に指定されています。

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