千村氏屋敷

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千村氏屋敷:略データ
・場 所・岐阜県可児市久々利
・築城年・慶長8年
・築城者・千村良重
・城 主・千村氏
・構 造・陣屋
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・千村氏屋敷(陣屋)は慶長8年に千村良重が領内支配の為に久々利に設けた行政施設兼領主居館です。

千村良重は永禄9年に千村家政の子供として生れ、当初は木曽義昌に仕えていました。

慶長5年に木曽家が改易になると徳川家に仕え、関ヶ原の戦いでは中山道を進軍する徳川秀忠軍の先導役として、木曽家旧臣達の懐柔にも尽力し、木曽・東濃の戦いでも功績を挙げています。

戦後は美濃国恵那郡、土岐郡、可児郡内4千6百石が安堵され、さらに信濃国伊那郡の天領11ヶ村が預地となり、本拠地として美濃国可児郡久々利村に千村氏屋敷(陣屋)を構えています。

元和元年に発生した大坂冬の陣では飯田城の城番を勤め、夏の陣では天王寺口の戦いに参加しています。

元和5年に徳川秀忠の命により交代寄合旗本として伊那郡天領の管理と遠州船明山榑木奉行を継続しつつ尾張藩に附属する事になっています。

陣屋は東西約300m、南北約270mあり、郭の外周には堀が設けられ城郭のようだったとされます。

大きく上屋敷と下屋敷、庭園に分かれた広大なもので、上屋敷には20を越える部屋があり、家老の部屋や勘定所等政務の場だった事から「久々利役所」とも呼ばれていました。

下屋敷には隠居や部屋住みの者の生活の場として用いられ、その北側には「春秋園」と呼ばれた回遊式庭園が作庭されました。

千村氏屋敷(陣屋)の跡地は貴重な事から可児市指定史跡に指定されています。

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