・文殊陣屋は寛文8年に戸田光正が本藩である美濃加納藩から5千石が分知された際に設けられた領内支配の為の行政施設です。
戸田光正は美濃国加納藩初代藩主松平光重の次男として生れ、寛文4年に4代将軍徳川家綱に拝謁し、寛文8年に光重が死去すると、兄である松平光永が家督と加納藩を引継ぎ、光正には美濃国本巣郡、方県郡、度田郡内5千石が与えられ、幕府の寄合旗本に列格しています。
光正は当地に配された際、生母の照空院の菩提を弔う為に応永28年に開創した長福寺を陣屋近くに境内を遷し、寺号を照空寺に改め、菩提寺とそいて篤く庇護し、歴代文殊戸田家の菩提寺としています。
その後は戸田光輝、光政、光典、光智、光陽、光逸、光天、光利、光顕が当主を歴任に明治維新を迎えています。
本家は三河戸田家の嫡流で、康長の代に松平姓を掲げる事を許された為、松平を名乗りましたが、分家である文殊戸田家と北方戸田家(5千石)は引き続き戸田姓を名乗っています。
陣屋は本巣小学校の東側に高台に位置し、跡地は現在「ふるさと活動センター」として利用されています。
正面の小川が堀として利用されていたようで当時の雰囲気が感じられます。
唯一の遺構として陣屋門が近隣の民家に移築されています。
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