伏屋城

岐阜県:歴史・観光・見所岐阜県の城郭>伏屋城
伏屋城:略データ
・場 所・岐阜県羽島郡岐南町伏屋3丁目
・築城年・永禄年間
・築城者・木下藤吉郎
・城 主・伏屋氏
・構 造・砦(平城)
・文化財・岐南町指定史跡
・指定日・昭和54年9月5日
・概 要・伏屋城は永禄年間に織田信長が美濃国侵攻の拠点として木下藤吉郎に命じて築かれた砦です。

藤吉郎は木曽川流域に割拠した土豪の協力を得て、上流で樹木を伐採し当地で逸早く建て方が出来るよう加工した材木を筏に組んで、伏屋に運び、僅か一週間で築城を完成させた事から「一夜城」とも呼ばれたそうです。

天正12年に発生した小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉に与した伏屋市兵衛が守備しています。

伏屋氏は清和源氏の庶流とも云われ、尾張国葉栗郡伏屋(現在の岐阜県羽島郡岐南町伏屋)を本貫とする氏族で、戦国時代には織田信長や織田信忠に従い、本能寺の変後は豊臣秀吉の家臣になったようです。

文禄3年に発給された真田昌幸、真田信幸、真田信繁宛伏見城普請四奉行連署状には伏屋小兵衛為長も名を連ね、「寛政重修諸家請」にも豊臣秀吉の普請奉行と記されている事から豊臣家の官僚的な役割を担っていた事が窺えます。

又、為長は豊臣秀吉が使番衆、馬廻衆の中から特に選抜して取り立てた金切列指者使番にも抜擢され、知行地は1千石程でしたが、「豊臣」姓を賜る等信任は篤かったようです。

関ヶ原の戦いでは東軍に与したようで、下古井村内443石が安堵され幕府の旗本に取り立てられている事から伏屋城は廃城になったと思われます。

現在、城域の多くは住宅街に没していますが竹林の中に土塁の一部が残されています。

伏屋城の城跡は貴重な事から岐南町指定史跡に指定されています。

岐阜県:城郭・再生リスト
伏屋城:付近地図
岐阜県の城郭のリンク
相羽城旗本青木氏陣屋青野城跡部城美江寺城福束城船田城府中城伏屋城顔戸城畑館
東野陣屋一日市場館本田城本郷城今井城今尾城石河邸十九条城十七条城帰雲城
加賀野井城釜戸陣屋上恵土城金森宗貞邸金森左京屋敷軽海西城革手城切通陣屋氷取城
黒野城前渡坪内陣屋牧村城松ノ木城文殊陣屋森部城西保城西高木家陣屋野口館
大井城織田河内守邸大御堂城大富館お茶屋屋敷六之井陣屋清水城下洞陣屋曽根城
太閤山砦多治見国長邸高須城高富陣屋竹ヶ鼻城竹中氏陣屋千村氏屋敷津田代官陣屋
徳永氏五之里陣屋東氏館妻木城士屋敷津屋城鵜沼城牛洞陣屋八神城山口城主居館
山下城居館
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「岐阜県:歴史・観光・見所」は「岐阜県の歴史」、「郷土資料辞典−岐阜県」、「日本の城下町−東海」、「城郭と城下町−東海」、「東海道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。