・太閤山砦は天正12年に羽柴秀吉が敵対する織田信雄に従う不破広綱が立て籠もる竹ヶ鼻城を水攻めする為に見張り場として築いたとされる砦です。
規模は概ね22〜23間(約40m四方)、高さ2丈(約6m)とも云われ、一夜の内に築かれたと伝えられています。
※ 砦は一夜かも知れませんが、全ての工程は5〜6日程度掛かったとされます。
秀吉は竹ヶ鼻城を取り囲むように全長約3キロに渡り高さ約3m、幅約25m程の堤を築き、足近川から水を引き込んで不破広綱を追い詰めていきます。
実際、秀吉軍は10満とも云われる大軍だった為、正攻法でも十分、竹ヶ鼻城を攻め落とす事が出来たと思いますが、見せしめ的要素が強く、救援する為に徳川家康軍や織田信雄軍を誘い出し各個撃破する戦略だったとも云われています。
結果的に、家康、信雄陣営は秀吉の狙いを見透かしていたと思われ、救援する為の目立った軍事行動は起さなかった為、広綱は開城を余儀なくされ伊勢長島城に退去しています。
一説には、家康と信雄が誘いに野ってこなかった事から、秀吉は無意味となった戦いを避ける為、元々仲が良かった広綱に城主以下全ての城兵を助ける事を条件に開城を勧め広綱もそれに応じたとされます。
太閤山砦は貴重な事から羽島市指定史跡に指定されています。
現在も砦の一部が残され、八幡神社の境内として利用されています。
境内に建立されている五輪塔は境内を整備した際に出土したもので、竹ヶ鼻城攻防戦での戦死者の慰霊の為に建立されたものと推定されています。
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