徳山陣屋(更木陣屋)概要: 徳山陣屋(更木陣屋)は岐阜県各務原市那加西市場町に位置しています。陣屋主である徳山氏は美濃国大野郡徳山郡を本拠とした豪族だった家柄で戦国時代、当時の当主徳山五兵衛則秀は織田信長に仕えた事で頭角を現し浅井、朝倉攻めや長篠の戦などに従軍しました。
その後、織田家の重臣柴田勝家の与力になり天正4年(1576)に御幸塚城(石川県小松市今江町)攻略に功があると御幸塚城主となり天正8年(1580)に加賀を平定すると松任城(石川県白山市(旧松任市)古城町)4万石の城主となります。
天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦にも柴田勝家に与した為、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)から疎んじられ高野山に蟄居しますが、その後、丹羽長秀に見出された事で8千石が与えられ、さらに前田利家に仕えます。慶長4年(1599)に利家が死去すると徳川家に仕え、慶長5年(1600)の関が原の戦いでも東軍(徳川方)に与した事で旧領である徳山郡周辺5千石が与えられました。
この地には徳山陣屋(更木陣屋)が設けられ以後、明治維新まで徳山家12代(則秀・直政・重政・重俊・重舊・頼屋・頼意・頼福・貞賢・秀起・秀守・秀堅)が続きます。現在は「更木陣屋絵図」によって江戸期陣屋風景を再現した旗本徳山陣屋公園として整備されています。
徳山陣屋:上空画像
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