岩井邸(明治天皇行在所:恵那市)

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大井宿(中山道)・岩井邸(明治天皇行在所)
【 岩井邸 】−伊藤弥兵衛家は中山道大井宿で旅籠を営んでいた家柄で、豪商としても名を馳せ、江戸時代後期以降は宿場の上役を歴任するようになり、末期には庄屋を務めました。明治時代に入り宿場制度が廃止になると村会議員や学校建設にも尽力し、引き続き指導的な役割を担いました。明治13年(1880)に明治天皇御巡行が決定すると、大井宿で御宿泊する事になりましたが、本来身分の高い人物の宿泊や休息で利用するはずの旧本陣家や旧脇本陣家は利用で出来なくなり、大井宿最大級の旅籠だった伊藤弥兵衛家に指定されました。伊藤家では、天皇行在所に相応しい宿所にする為、僅か数か月で上段の間のある座敷棟や風呂、雪隠(便所)などの増改築が行われました。その後、当建物は岩井家の手に渡りましたが、現在でも当時の遺構や敷地背後の土蔵群(土蔵は江戸時代後期の建築)などが残されています。主屋は木造平屋建、切妻、鉄板葺、平入、外壁は板張りですが、2階に虫子窓が見える事から元は漆喰で仕上げられていたと思われます。1階、正面向かって右側は明治天皇が利用する為に式台付きの玄関に改変されたと思われる跡があります。

【 大井宿 】−大井宿は江戸時代初頭に中山道が開削された際に宿場町として成立した町です。大井宿の背後には難所の十三峠を控え、下街道(大井宿と名古屋城の城下とを結ぶ街道。特に中山道を利用して熱田神宮や伊勢神宮を向かう際には最短距離で結んだ為、江戸時代中期以降に交通量が増大した。)が合流する交通の要衝だった為、多くの旅人や商人が利用し、江戸時代後期には旅籠が40軒前後と大きく発展しました。大井宿は横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5つの町があり、それぞれ枡形を設けた為、合計6カ所も枡形がある特異な町並みが形成されていました。

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