【 竹屋 】−野呂家は屋号「竹屋」を掲げ、中山道の宿場町である御嶽宿で商家を生業とした家柄です。野呂家は御嶽宿の本陣職を歴任した野呂家の分家で、宿場の組頭を担っていた事からも相当な実力者だった事が窺えます。又、当時の御嶽宿には商家は2軒しかない事から半ば独占状態にあり、数多くの品物を取り扱い、現在の金融業にあたる両替商のような役割もあり大きく繁栄しました。現在の建物は明治時代に再建されたものですが、間口が広く格式の高い事などから当時の
【 所在地 】−岐阜県可児郡御嵩町御嵩
【 建築年 】−明治時代初期:明治10年(1877)
【 構 造 】−木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入
【 備 考 】−主屋・茶室:御嵩町指定文化財
【 御嶽宿 】−御嶽宿は古代の官道である東山道の道筋にあり、平安時代には天台宗の開祖である伝教大師最澄により願興寺(蟹薬師)が創建され、その門前町として発展しました。江戸時代に入り中山道が開削されると、慶長7年(1602)には「御嶽宿伝馬掟朱印状」が発布され御嶽宿が逸早く宿場町に選定されています。本陣は代々野呂家、脇本陣は十兵衛家が歴任しています。本陣野呂家住宅は明治時代に改築されましたが、屋敷の雰囲気が残され、継承されている「侍馬朱印状」、「路次駄賃定書」、「伝馬定書」、「定路次中駄賃之覚」の4通が名称「慶長時代古文書」として岐阜県指定重要文化財に指定されています。
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