月桂院(揖斐川町)概要: 清光山月桂院は安藤守秋、氏家直元と共に 西美濃三人衆の1人に数えられた稲葉一鉄の菩提寺です。元々は天正9年(1581)に一徹の奥方(西三条左大臣藤原公条の娘)が死去した為、湖南宗岳(南化和尚の法弟)を召還して旧邸宅跡に寺院を開山し、奥方の法名「弘徳院殿月桂周芳大姉」に因み少林山月桂庵と名付けられました。天正16年(1588)、一徹が隠居城である清水城で死去し月桂庵に葬られると一徹夫妻お菩提寺として稲葉家の庇護となり寺運も隆盛しました。慶長12年(1607)、稲葉通重(一徹の孫)は京都の祇園で酒におぼれ婦人に乱暴したなどの罪により改易となり常陸国筑波に流罪になると月桂庵は外護者を失い衰微しました。延宝7年(1679)、彦根藩(滋賀県彦根市)4代藩主井伊直興は井伊家と稲葉家の浅からぬ縁に月桂庵の荒廃に憂いを抱き月渚舟和尚(大和国禅源寺住職)を召還して再興、臨済宗から曹洞宗に改宗し、寺号を月桂院に改め境内を整備しました。
一鉄の陣鐘(梵鐘)は元応2年(1320)に製作されたもので全長97.6cm、内径46.9cm、銘「諸行無常 是諸滅法 生滅々己 寂滅為楽 平方伊駒社神宮寺鐘 元応二年庚申十月十八日」、天正7年(1579)に清水城の鎮守社として八幡宮を創建した際に領民から寄進され、城内の陣鐘として利用していたと伝えられています。梵鐘は年代が明確なものとしては岐阜県第2位の古さとされ昭和39年(1964)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。
又、稲葉一鉄の墓域(稲葉一徹:法名:清光院殿一鉄宗勢大居士・貞通室:斎藤道三の娘、法名:秋江宗蓉大姉・一徹室:西三条左大臣藤原公条の娘、法名:弘徳院殿月桂周芳大姉・貞通後室:織田信長の妹、法名:繁渓永昌大姉)が昭和39年(1964)に岐阜県指定史跡に指定されています。西美濃三十三霊場第4番札所(札所本尊:聖観世音菩薩)。宗派:曹洞宗。本尊:地蔵菩薩。
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月桂院:上空画像
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