瑞巌寺(揖斐川町)概要: 萬松山瑞巌寺は岐阜県揖斐郡揖斐川町瑞岩寺に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。瑞巌寺の創建は天平年間(729〜749年)、奈良時代の高僧と知られた行基菩薩が全国を巡錫し当地を訪れた際、霊地と悟り、一宇を設けると自ら地蔵菩薩を彫刻し安置したのが始まりと伝えられています。
建武3年(1336)、美濃・尾張・伊勢守護職土岐頼康が父親である土岐頼清の菩提を弔うために大林善育を招いて本格的な寺院として開山、頼清の法名「瑞巌寺殿祥雲善孝大禅定門」に因み瑞巌寺と号しました。文和2年(1353)、北朝の後光厳天皇が兵乱を避ける為、美濃の小島頓宮に迎え入れた事で「萬松山瑞巌報国禅寺」の勅額を賜ると、勅願寺の道場として支院六ケ寺を擁するなど寺運が隆盛しました。
その後、応仁の乱や文明の兵火で堂宇を焼失するなど衰退しましたが寛永年間(1624〜1644年)大垣城の城主岡部長盛が空山を招いて中興開山し堂宇が再建されています。その後も瑞巌寺は歴代大垣城の城主が庇護され現在でも戸田氏歴代の黒印状を所有しています。西美濃三十三霊場第11番札所(札所本尊:聖観世音菩薩)。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:地蔵菩薩像。
瑞巌寺の寺宝は多く本尊の地蔵菩薩坐像(「来世引接結縁書之至徳元年霜月十九日恵尊」の墨書)をはじめ、宝満山之図(制作年:江戸時代、仙がい作、鳥瞰的展望、縦125cm、横55cm)、絹本水墨草座の釈迦像(制作年:中国南宋時代、牧渓作、縦80cm、横36cm)、愚堂東寔筆蹟(制作年:室町時代、愚堂東寔筆、「初祖菩提達磨大師」の8字、「末葉比丘東寔」の落款、縦132cm、横35cm)、
小島のすさみ写本(制作年:文明2年1470年、左近衛権中将藤原朝臣筆写、縦24cm、横17cm)が岐阜県指定重要文化財に、円空上人が彫刻した観音菩薩坐像が揖斐川町指定文化財に、土岐頼清・頼康父子の墓が岐阜県指定史跡、岡部長盛の墓が揖斐川町指定史跡にそれぞれ指定されています。
瑞巌寺:上空画像
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