小西行長陣跡(関ヶ原町)概要: 小西行長陣跡は岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原に位置しています。案内板によると「 小西行長は、ここ北天満山に6千余の兵を率いて参戦しました。午後8時ごろ、戦闘開始の狼火をあげ、味方に合図をすると共に、西軍主力の1つとして勇戦しています。しかし、小早川らの裏切りの衝撃は小西隊の混乱を招き、それに乗じた本多隊の衝撃で、兵士たちが敗退しはじめたのは午後1時過ぎのことでした。 関ヶ原町 」とあります。小西行長は和泉国堺の商人・小西隆佐の次男として生まれましたが、宇喜多直家に見いだされ武士となり、羽柴秀吉が三木城攻めの際に秀吉の家臣となりました。
その後、秀吉に関わる主要な合戦で武功をあげ、天正15年(1587)の九州征伐、天正16年(1588)の肥後国人一揆の討伐を経て南肥後20万石の大名に抜擢されました。領土問題や宗派の違い、朝鮮の役での先陣争いなどで尽く加藤清正と対立、豊臣家家臣団の中でも武断派とは距離がとっていた人物で、関ヶ原の戦いでも比較的士気が高く東軍の田中隊、筒井隊とも奮戦しています。行長はキリシタンだった為、処刑後はカトリック方式で埋葬されたと伝えられています。
小西行長陣跡:上空画像
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