田中吉政陣跡(関ヶ原町)概要: 田中吉政陣跡は岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原に位置しています。 案内板によると「 田中隊はここから石田隊に向かって兵を進め、笹尾山麓より討って出る先手の兵と激突。本隊が2・3百米ほど引き下がる。そこに他の東軍諸隊の兵が食らいつく。というように、両軍間で激しい白兵戦が展開されたのです。三成が自分の意思で、残党狩りの吉政配下の兵の手に落ちたのは、合戦後6日目のことでした。 関ヶ原町 」とあります。田中吉政は羽柴秀次の宿老として活躍した武将で、秀次が自害させられた際に連座せず逆に三河10万石の領主に加増されています。秀吉が死去すると徳川家に近寄り、関ヶ原の戦い後は筑後32万石の国持大名に加増されています。
田中吉政陣跡:上空画像
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