高徳寺(中津川市)概要: 寳林山高徳寺は岐阜県中津川市蛭川奥渡に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。高徳寺の創建は南北朝時代の南朝暦:元中4年/北朝暦:至徳4年(1387)、尹良親王(後醍醐天皇の皇子宗良親王の子)が持っていた薬師如来像を安置したのが始まりと伝えられています。
戦国時代の天文年間(1532〜1555年)に洪水により大きな被害を受けましたが、その際、木曽義仲の持仏であった十一面観世音菩薩が木曽川の畔に流れ着いた為、仏意と悟り山上に観音堂を再建すると本尊として安置しました。
江戸時代に入ると、苗木藩(藩庁:苗木城)の藩主遠山家の庇護となり、特に4代藩主遠山友春(鳥羽藩の在番、駿府加番、半蔵門番、岩村城受け取り役)が蛙薬師堂と観音堂を再建し弟である入道宗雲を招いて中興開山し、院号を「普門院」に改めています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令の後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により一時廃寺に追い込まれましたが、明治12年(1879)に浅野剛宗和尚が再興し寺号を「高徳寺」に改めています。
恵那三十三観音霊場第30番礼所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:極楽は ここ遠からぬ 寺なれば 雲井はるかに いかでなげかん)。中部四十九薬師霊場第35番札所(札所本尊:蛙薬師瑠璃光如来)。山号:寳林山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:十一面観音菩薩。
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高徳寺:上空画像
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