大垣八幡神社概要: 八幡神社は岐阜県大垣市西外側町1丁目に鎮座している神社です。八幡神社の創建は南北朝時代の建武年間(1334〜1335年)、当時境内一帯は大井荘と称する東大寺(奈良県)の荘園だった為、東大寺の鎮守社であった手向山八幡宮の分霊を安八郡大井荘藤江村に勧請したのが始まりと伝えられています。
一説によると手向山八幡宮の御神体が突然消え、全国中探し出したところ安八郡藤江村で発見、御神体を奈良にお連れしようとしてもまったく動かなかった事から神意と悟り、その地に社殿を建立し祀ったのが始まりと伝えられています。
宝徳3年(1451)に別当である遮那院条済が現在地に遷座、戦国時代の天文15年(1546)には斉藤道三の侵攻により社殿が焼失し、その後再建、慶長5年(1600)の関が原の戦いの際には石田三成率いる西軍の本陣が大垣城に設けられた為、戦勝祈願が行われています。
江戸時代に入ると歴代大垣藩主から崇敬庇護され慶長11年(1606)には石川康通により刀が奉納され慶長13年(1608)には石川政俊により社殿の再建が行われています。正保4年(1647)には当時の藩主戸田氏鉄が大垣の総鎮守として境内を整備し幕府からも朱印状を賜い社領が安堵されました。
古くから神仏習合し別当寺院として遮那院が祭祀を司りましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)には郷社、明治13年(1880)には県社に列しました。戦前まで、歴代領主や藩主、為政者などから奉納された社宝を数多く所有していましたが昭和20年(1945)の大垣大空襲で被災し社殿もろとも焼失しています。
大垣八幡神社境内に湧き出る「加賀野八幡神社井戸」は、古くから名水として知られ「平成の名水百選」、「岐阜県の名水50選」に選定され平成22年(2010)には大垣八幡神社と湧水(加賀野八幡神社井戸)が大垣市景観遺産に指定されています。
又、大垣八幡神社の例祭である大垣祭の祭やま行事は慶安元年(1648)に再建された際、10町内が10両のやまを造って曳回したのが始まりとされ、延宝7年(1679)に当時の藩主戸田氏西が3両のやまを寄進し13両による、やま曳回しとなり、平成19年(2007)に「大垣祭のヤマ行事」として大垣市指定重要無形民俗文化財に指定されています。
八幡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、檜皮葺き。祭神:応神天皇、神功皇后、比淘蜷_。
大垣八幡神社:上空画像
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