荻町城(白川郷)概要: 荻町城は岐阜県大野郡白川村萩町地区に位置している城郭です。荻町城の築城年は不詳ですが南北朝時代に南朝側の城として築かれ公家等が身を隠したとも伝えられています。
寛正年間(1460〜1466年)、室町幕府8代将軍足利義政の命で足利家の奉公衆の1人内ケ島為氏が現在の長野県長野市松代から白川郷に移封となり帰雲城(白川村保木脇にあった城)を築城、荻町城には家臣である山下氏勝を配したとされます。
当時の白川郷は正蓮寺(照蓮寺)の支配下にありましたが文明7年(1475)に内ケ島氏は正蓮寺と決戦となり正蓮寺側の多くの教徒、僧兵は逃走、離反、又は討ち取られ壊滅、内ケ島氏は白川郷全域を掌握しその後、隣国の五箇山一帯も支配下に入れました。
戦国時代に入ると織田信長の家臣佐々成政に属し為、天正10年(1582)の本能寺の変後、成政が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と対立した事で、秀吉家臣で高山城の城主金森長近が白川郷に侵攻しました。
天正13年(1585)、何とか金森氏との和睦が成立し、白川郷の一部の領地が安堵されましたが突如として大地震が襲い内ヶ島家は山津波により帰雲城と共に滅亡しました。残された山下氏などの家臣は徳川家に帰属し江戸時代には尾張藩(徳川御三家筆頭:61万9千5百石)徳川義直の伝役となり、名古屋城(愛知県名古屋市)の築城の普請などを行っています。
荻町城は白川郷荻町を見下ろせる単郭の平山城で3方が絶壁で囲われ、1方を空堀と土塁により隔離しています。現在も荻町城の跡地には空堀の形状や土塁の一部、櫓跡と推定される土盛が残され、その土盛の上には荻町城の鎮守社と思われる神社が鎮座しています。荻町城は貴重な事から平成15年(2003)に白川村指定史跡に指定されています。
荻町城:上空画像
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