釈迦堂(白川八幡神社)概要: 釈迦堂は岐阜県大野郡白川村萩町地区に位置しています。案内板によると「 寛永4年(1627年)8月12日萩町城主「山下大和守藤原朝臣氏勝」が病気平癒のお礼に寄進された御堂で、氏勝が徳川家康の命により、名古屋城築城の大役を受けた折、諸国の優れた彫刻家に彫らせた「弥陀、釈迦、日輪、月輪」の4体の仏像が収められています。」とあります。釈迦堂は入母屋、茅葺、平入、桁行2間、梁間1.5間、白川郷の鎮守である白川八幡神社の境内に建立され、神仏習合の名残が感じられます。
当時の領主山下氏勝は荻町城で生まれ当初は内ケ島氏に従っていましたが天正13年(1585)の大震災で内ケ島氏が滅ぶと徳川家康の家臣となります。氏勝は天正18年(1590)の小田原の役や文禄慶長の役(朝鮮出兵)で戦功を重ね徳川義直(家康9男、後の尾張藩初代藩主)の補佐役となり居城を清須城(愛知県清須市)から名古屋城(愛知県名古屋市)に移す事を進言するなど藩内では実力者として知られました(その後も大坂の陣の功により加増、藩の要職を歴任しました)。
寛永9年(1632)、氏勝は眼病を患い隠居している事から、釈迦堂建立はそれ以前の病気と思われます。元禄5年(1692)藩主の金森家が上山藩(山形県上山市・藩庁:上山城)に移封になると高山藩(岐阜県高山市・藩庁:高山城)は廃藩、白川郷も天領となり飛騨代官(高山陣屋)が統治の下、白川八幡神社、釈迦堂共に庇護されたと思われます。
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釈迦堂:上空画像
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