美江寺(岐阜市)概要: 大日山観昌院美江寺は岐阜県岐阜市美江寺町に境内を構えている天台宗の寺院です。美江寺の創建は養老元年(717)に元正天皇の勅願で、伊賀国名張郡に境内を構えていた伊賀寺(後に坐光寺と改称)から本尊として十一面観音像を美濃国本巣郡十六条(現在の岐阜県瑞穂市美江寺)に迎えたのが始まりとされます。養老3年(719)に長屋王の勅により勤操和尚(空海の師、東大寺別当)が寺院として整備が開始され、養老7年(723)に堂宇の完成をもって開山、大和高市郡久米寺の善無畏三蔵を導師として迎えて落慶供養が行われています。
往時は美江寺の境内には七堂伽藍が建ち並び寺運が隆盛しましたが、その後衰微し文治2年(1186)に衰退に憂いた藤原定家が左衛門尉則重に命じて再興し寺領の寄進を行い庇護してます。
中世は美濃国守護職の土岐家により庇護され、元徳2年(1330)には土岐頼貞が寺領の寄進を行い、永正3年(1506)には土岐成頼が家臣である和田佐渡守に命じて堂坊24院の改修を行っています。
天文10年(1541)斉藤道三が稲葉山城(岐阜城)を築いた際、美江寺は城下町の要として現在地に移され、城から見ると南西方向にあたる為、裏鬼門鎮護の寺院として歴代城主である織田信長や織田信孝など篤く庇護しています。江戸時代に入ると美江寺は幕府により庇護され慶長15年(1610)には徳川家康が寺領10石を安堵しています。
美江寺が所蔵する十一面観世音菩薩像は奈良時代後期に制作されたもので像高176cm、岐阜県最古の仏像の1つで脱活乾漆造(乾漆仏)の十一面観音像としては唯一の作例として大変貴重な事から大正3年(1914)に国指定重要文化財に指定されています。
猩々面は室町時代後期から江戸時代初期に製作されたと推定されるもので幕末まで美江寺祭の際山車の屋根上に乗せられた人形につけられました。猩々面は昭和63年(1988)に岐阜市指定重要文化財に指定されています。
美江寺が所有する木造獅子頭は鎌倉時代に製作されたもので桧材、彫眼、黒漆塗り(旧漆箔)、内部は朱漆塗り、高さ約29cm、長さ約36cm、幅約34cm、平成27年(2015)に岐阜市指定重要文化財に指定されています。木造不動明王半跏像は鎌倉時代に製作されたもので、桧材、寄木造、内刳、玉眼、彩色、像高27.7cm、平成27年(2015)に岐阜市指定重要文化財に指定されています。
現在の美江寺仁王門は昭和61年(1986)に再建されたもので入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、梁間2間、八脚楼門、真壁造り白漆喰仕上げ、木部は朱塗り。
美濃西国三十三観音霊場第十八番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:たのしいな 仏は人に 美江寺 とばりをたれぬ 誓い思えば)。岐阜観音札所第三番札所。東海白寿三十三観音霊場第三十一番札所。山号:大日山。院号:観昌院。宗派:天台宗。本尊:十一面観世音菩薩。
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