善光寺(岐阜市)概要: 愛護山安乗院善光寺は岐阜県岐阜市伊奈波通に境内を構えている真言宗醍醐派の寺院です。戦国時代、信濃善光寺(長野県長野市)は武田領と上杉領の境付近にあり川中島の戦いなど度々戦火により大きな被害を受けていました。そこで武田信玄が信濃善光寺全山、居城である躑躅ヶ崎館(武田氏館)のある甲府に移し甲斐善光寺(山梨県甲府市)を建立しました。
天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅ぶと、本尊が岐阜城の城下へ移され、さらに同年の本能寺の変で信長が自害すると次男織田信雄は尾張の甚目寺に移しました(その後、徳川家康が鴨長寺に豊臣秀吉が方広寺と移し慶長3年に信州に戻っています)。
その後、信長の孫である織田秀信(三法師)が岐阜城の城主になると伊奈波神社の境内に伊奈波善光寺堂を建立し善光寺本尊を模した如来像を安置、伊奈波神社の別当寺院だった満願寺と安乗院(善光寺)の支配下に置きます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により満願寺は廃寺となり安乗院が単独で所有することになり現在に至っています。
現在、善光寺が所有する木造釈迦如来坐像が廃寺となった満願寺から当寺に移されたと推定される仏像で、制作年は平安時代、像高85cm、歴史的背景や意匠が優れている事から平成14年(2002)に岐阜市指定文化財に指定されています。
現在の本堂は明治24年(1891)の濃尾地震で焼失し、大正元年(1912)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、妻入り、間口6間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、正面1間分は柱のみの吹き放し、向拝唐破風懸魚には鳳凰、欄間部には龍、木鼻には象の精緻な彫刻が施されています。美濃新四国八十八ヵ所霊場第1番札所。山号:愛護山。院号:安乗院。宗派:真言宗醍醐派。本尊:善光寺如来。
岐阜市:神社・仏閣・再生リスト
|