岐阜県の伝統的・町並み3

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項     目 場  所 備  考
・美濃町 ・岐阜県
・美濃市
美濃の町は慶長年間(1596〜1614年)に金森長近小倉山城を築きその城下町として整備発展しました。長近は養子である金森可重に本城である高山城を譲り、小倉山城に隠居しましたが慶長13年(1608)、長近が死去すると小倉山城は実子である長光が引継ぎ上有知藩を立藩します。美濃は藩都としてさらなる重要性を増しましたが慶長16年(1611)に長光が死去すると跡継ぎが無く廃藩となります。その後は尾張藩領となり美濃には代官所が設置され引続き周辺の行政、経済の中心地として維持された事で発展が続きました。特に木曽川舟運の拠点である上有知湊では数多く舟運船が行き交いました。又、主産業の1つ美濃和紙生産も盛んになり一大生産地として繁栄しました。現在でも美濃町には「ウダツ」を掲げた大型の町屋建築が軒を連ねた良好な町並みが残され、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・岩村町 ・岐阜県
・恵那市
・岩村町
岩村城は鎌倉時代に幕府の御家人である加藤景廉の長男遠山景朝が築いた山城で、岩村町はその城下町として整備発展しました。戦国時代に入ると岩村周辺が武田領と織田領、徳川領の境界付近にあった事から岩村城を廻り度々攻防戦が繰り広げられ城下町も大きな被害を受けたと思われます。江戸時代に入ると岩村藩が立藩し、以後は藩都として再整備されました。岩村城は山城だった為、麓に藩主居館と藩庁が設けられ、館の周辺と向かって左側が武家屋敷、向かって右側が商家町として町割され現在の町並みの基礎が固められました。現在でも岩村町には当時の町並みが残され、名称「恵那市岩村町本通り伝統的建造物群保存地区」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・荻町
・白川郷
・岐阜県
・大野郡
・白川村荻町
白川村の集落的な発生は不詳ですが、縄文時代早期の遺跡が発見されている事から、その頃から既に人々が生活していた事が窺えます。記録的な初見は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて九条兼実によって日記形式で記録された「玉葉」で安元2年(1176)の項で「飛騨国白川郷・・・」との記述が見られます。一方、伝説によると、寿永2年(1183)に行われた源平合戦の激戦の1つ倶利伽羅峠の戦いで木曽源氏の頭領木曽義仲に敗れた平家の残党が当地に流れ落ちたと伝えられています。荻町集落は白川郷が文献に散見出来るようになった鎌倉時代に成立したと推定され、当時は浄土真宗の勢力下に入っていたと思われます。室町時代に入ると内ヶ島民が支配し、荻町集落には家臣である山下氏を配し、高台には荻町城が築かれました。内ヶ島氏は天正大震災の被害を受けて没落し、その後は豊臣秀吉に従った高山城(岐阜県高山市)の城主金森氏が支配、江戸時代中期に金森氏が上山城(山形県上山市)に移封になると幕府の直轄領となっています。白川郷荻町集落は養蚕、塩硝、和紙を主産業とする山村集落として確立し、自然環境と産業、独特大家族制度を賄う為に合掌造りと呼ばれる形式の建物が発生し発展しました。明治時代以降も極度な近世化が成されなかた為に現在でも大型で茅葺屋根の合掌造りの古民家が数多く残され、国重要伝統的建造物群保存地区に選定され、ユネスコの世界遺産に登録されています。

・大井宿 ・岐阜県
・恵那市
大井宿は中津川宿と大湫宿との間にある中山道の宿場町です。名古屋城(愛知県名古屋市)とを結ぶ下街道との分岐点でもあり物資の集積場としても発展しました。町並みは数多くの枡形がある事でも知られ、現在も当時の雰囲気が残されています。
・伏見宿 ・岐阜県
・可児郡
・御嵩町
伏見宿は元禄7年(1694)に土田宿が廃宿となり新しく開かれた宿場町。
・下呂温泉 ・岐阜県
・下呂市
下呂温泉は草津温泉と有馬温泉と共に日本三名泉に数えられる名泉として知られています。温泉街の郊外にユネスコの世界遺産に選定されている白川郷から合掌造りの旧大戸家住宅(弘化3年:1846年建築、間口24.96m、奥行251.337m、切妻、茅葺屋根、国指定重要文化財、棟札附:国重要有形民俗文化財)、旧遠山家住宅板倉(文化7年:1810年建築、桁行5.454m、梁間4.545m、切妻、茅葺、国登録有形文化財)、旧岩崎家住宅(江戸時代中期建築、桁行16.715m、梁間9.144m、切妻、妻入、茅葺、国登録有形文化財)など10棟の古民家が移築され名所となっています。又、下呂温泉の温泉街は江戸時代には飛騨街道も宿場町でもあり、往時は旅人や商人にも利用され大いに賑いました。
・太田宿 ・岐阜県
・美濃加茂市
太田宿は江戸時代初期に中山道が開削された際に宿場町として成立した町です。当初は幕府直領である天領で、奉行である大久保長安が管理し、慶長15年(1610)には太田の渡しの船頭に対して屋敷を安堵する文書が発布されています。太田宿は中山道の宿場町であると同時に飛騨高山陣屋(江戸時代初期は高山藩の藩庁が置かれた高山城)とを結ぶ飛騨街道、郡上藩の藩庁が置かれた八幡城とを結ぶ郡上街道が分岐する交通の要衝として重要視されました。又、「太田の渡し場」は「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と詠われた中山道三大難所の1つで、軍事的にも重要だった事から江戸時代後期に尾張藩領になると、尾張藩太田代官所が設けられ、藩士が派遣されました。明治時代から昭和初期にかけて小説家、評論家、翻訳家、劇作家として活躍した坪内逍遙は太田代官所の手代の末子で、幼少期は太田宿で過ごしています。現在でも、脇本陣を担った林家住宅が残されて国指定重要文化財に指定されています。

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